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謹んで新春のご挨拶を申し上げます。
2012/01/01旧年中は格別のお引き立てを賜り厚くお礼申し上げます。
本年もより良き年でありますことを心よりご祈念申し上げますとともに、
相変わらぬご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。
平成24年 元旦
今後の「Soft Scream」の予定
2011/12/24映像はこちら↓
協力 デザイン DAIKI
絵 AYUMI
総指揮・総監督 ETSURO嫁
今後のSoft Screamの予定…
2012年3・24 朝日町PASSPORTでライブ
出演予定band Soft Scream・林楽団
Flagstaff Acoustic Band(F.A.B.)
「Soft Scream」 とは…
2011/12/24飛騨高山のおじちゃん、おばちゃんが、仕事の合間にガンバっている3人組のBAND。
なかなか時間がないので曲数がないのが弱点…。
しかし、3人で演奏している時はココロは十代です。
Drum HATSU
1964生 ドラム一筋数十年自転車大好き♡ どこでも行っちゃうSoft Screamの最年長者!!
ノコギリの刃 売ってます どうぞヨロシクm(_)m
Vocal&Key Board IKUちゃん
1970生 普段は子供たちにPIANOを教えるやさしい先生。ところが、Key Boardの前に座ると叫びます.
Bass ETSURO(リーダー)
1971生 DragonsとBassを心から愛する菓子職人。LIVEの時は、Dragonsのユニフォームに身を包む…、KARA好きな おっちゃんです(笑)
HATSU IKU ETSURO
※イラストと本人とは多少異なる場合がございます
Dragons 2連勝!!
2011/11/14我がDragons。敵地で2連勝!!TV中継を見ながら家族で大盛り上がりでした。
実は15日のナゴヤドームに友達と応援に行ってきます。席はなんとバックネット裏!当然ドラゴンズのユニホームを着て応援しますが僕の着ているユニホームはお店では売ってないTANI選手のユニホームです。(ちなみに背番号は36です。ビジターの青いやつだよん)
明日は高山から応援に行くので絶対ドラゴンズ勝ってちょうだい。そして、日本一!!!欲を言うなら「代打、谷!」そして、「谷、打った~~伸びる、伸びる、入った~~代打ホームラン!!」
ETSURO
あめ玉やっと出来ました!!でも・・・
2011/10/28私のベース!
2011/10/25さて、今日は私 谷悦朗が所有するベースをここでご紹介!
1.Fender-Japan JB
生まれて初めて買った新品のベース。
もう20年以上、使用しています。
音質が軽かったので、Fender-USAのP.Uに交換したらいい感じの低音が出るようになった。
ピックガードの下には「シャオロン君」が!
2.Fender-Japan JB Fletless
こっちのJBはフレットレスです。
最初からFender-USAのP.Uだったので、音も太めで結構いけます。
お買い得だったな。
3.Dragons Bass
兄から譲ってもらった寄せ集めのパーツでできたベースを 私が「ドラゴンズベース」として蘇らせました。
未だ人前では使用したことがありません。(宴会用ベースです。)
ノーボリューム、ノートーン。P.Uは「セイモア・ダンカン」
以外にバランスがよく弾き易いです。
音もしっかりしてるよ!
4.Aria-Standing Bass
これも兄から譲ってもらいました。
見ての通りスタンディングベースで、最初安定性が悪かったので少し改造しました。
普段は高いイスで座って弾きます。
ベースを始めたきっかけ。。。
2011/10/23谷悦朗です。
この度、ホームページリニューアルと同時に(?)バンド活動を復活しました!
そこで、このブログで音楽ネタもボチボチ書いていこうと思います。
手始めに、私がベースを始めたきっかけなど。。。
私がべースに初めて触ったのは小学校4年生の頃でした。
その頃 兄は高校生、ベースが面白くてしょうがない様子で弟の私に早い時期からベースを教えようとしました。
(多分、早くから始めれば上達すると考えたのでしょう・・・)
ベースでドレミファソラシドくらいは弾けましたが、ピッキングする右手は豆ができて指の皮がめくれてきます。
私は少年野球を始めていましたからボールが投げられません。
結果、少年野球を優先しました。
しかし中学生になると急に音楽に興味が出てきて、中学3年の時 ベースをやりたいと思いましたが、母が「高校の入試が終わってから!」の一言でやむ終えずお預け・・・その間、お年玉を貯めたりしてベース購入の日を待ちました。
めでたく受験は合格しベースを弾き始めましたが、兄の影響でその頃の高校生が聞くような音楽とはかけ離れた聞くようになりました。
当時流行っていた音楽と言えば「Sex pistols」「Bowy」「ジュン・スカ」「ザ・ブルーハーツ」なのに、私は「JACO」「ナルチョ」「コージー・パウエル」「TOTO」など・・・誰もこれらの曲をやりたいと言う友達は回りにいなかったのでチョッパーの練習も兼ねて「爆風スランプ」をやるという事でで友達には手を打ってもらいましたが・・・・それにしても寂しい話しだね・・・あの当時の私の周りの環境は・・・
そしてある日の夕方「何で兄弟3人ともベースをやってるんだろう?」と思った私は兄のところへ行きました。
兄はちょうど2階へ上がって行くところで、軽い気持ちで私が
「兄ちゃん、俺~ギターかキーボードでもやろうかな~」
とニコニコして言ったところ振り向きざまに
「や・れ・よ!!!だけどな!ベース以外は教えれんぞ!」と凄い形相で言われ、どうみてもそれだけは許さん!と言った感じでした。↓
そんな訳で私はベース一筋でいく事に決めたのです。
でもベースをやってて良かったです。奥が深いです、この楽器・・・
10月9日(日)10日(月)高山祭
2011/10/02手づくり胡麻こくせん谷松のブログへようこそ
2011/09/27【胡麻こくせんとは・・・】
黒胡麻・白胡麻・落花生・大豆などの「穀類」を材料に「煎って」作ることから「穀煎(こくせん)」と言います。
炭火で煎った胡麻を「別注仕立ての水飴」でつなぎ薄く延ばして、一口サイズにひとひねりした昔からの飛騨のお菓子です。
谷松のこくせんは、見た目と違って、
「程よい歯応え」 「甘味も味があって口に残らない」 「食べ始めたらやめられない」「体に良いわね」
などと、お客様からご好評をいただいております。
【創業明治25年 120年の伝統】
谷松の看板商品は、明治25年創業以来、今も昔も「こくせん」一筋。
仕事場に機会と名のつくものは1つもありません。あるのは、職人の手とその職人の手に馴染んだ昔ながらの道具だけです。
谷松のこくせんの、人の手で作られたほどよい歯ざわり、厳選された材料の風味、なんともいえない甘み、その調和は「本物だけが持つ味わい」です。
飛騨高山へお越しの際には、是非「谷松」へ足をお運び下さい。