2014/05/31
昨日駐車場から谷松に行こうとしたら「撮影中なので通れません」と言われ足止めされた。見るとスーパーの中と外で何やら撮影をしている模様。私もよく買い物をするスーパー山田さんの中にあの「家政婦はミタ」で大ブレイク、スケートも出来る本田望結ちゃんが居るではありませんか。かわいい~!とほとんど見えなくてもお店の外まで伝わってきます。
オール高山ロケと言うことでこの辺で撮影している事は聞いてましたが、こんな近くでしかもまさにヨーイ、ハイカットなど映画の撮影風景のメイキングなどで監督、役者さん達が映像を確認しているそんな機材のすぐ横で見学しました。ドラマやテレビの撮影は見たことがありますが映画は初めてです。警備の人の数も違いますし機材も大きい物でした。
他に中村玉緒、藤田朋子、宮川一郎太さん達も高山市内のどこかで撮影しているとか。6月7日まで撮影期間なので何処かでまた会えるとうれしいです。
映画の公開は来年2月予定です。「ポプラの秋」よろしく。
ちなみに我が家も子役も先日ライブデビューしました。
まだ中学3年生ですが旦那の友達からおひねりを貰っていました。
うらやまし~、
うらまやし~。
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2014/05/21
三代目松之助の三回忌法要の時にチョコットふれた二代目松之助の事を紹介致します。
私が嫁に来た時はもう90歳を超えていたので、店の前の大きな椅子に座って時折、お客様にこくせんを勧める穏やかなおじいちゃん、という感じでした。
ところが、おじいちゃんが亡くなって数年経っても「谷松さんはすごかったんやよ~」と言っておじいちゃんの話をしたい、私に「そこのじいちゃんは、な。」と教えたい人が谷松を訪れて来ます。
おじいちゃん、二代目松之助の話は今後チョイチョイ小出しにするとして今日は本の中におじいちゃんが出てきたのでその本を紹介します。
高山祭りの事を書かれているその本の中に谷鉄のおっさまと紹介されているのが二代目 松之助です。
「飛騨には余所者(よそもの)には理解しにくいことが、幾つかあります。その中でも{屋台}と称する祭車のことになると妻子も仕事も放っぽり出してしまう一群の人々がそれです。火事で自分の家は焼けそうなのに、屋台の事が心配で屋台蔵に先にかけつける人種です。上一之町麒麟台の屋台キチ(狂)と言われる谷鉄のおっさまがとんでもない事件を起こしてしまいました。戦後、高山の屋台を国の文化財に指定するかどうかということになり文部省の調査団が高山に来ました。岐阜県や高山市の役人たちが必要以上に気づかいしていた時、突然調査団の一人を{な、なにするじゃ!!}と突き飛ばしたのです。屋台の金具にさわったからです。そのときの谷鉄が言ったセリフがふるっています。{金具というものが、手でさわっていいか悪いかもわからぬような者が、文化財の調査団とはしゃらくさい、ワレたちの出る幕じゃない、帰れ、帰れ!!}これはまさに道理で、麒麟台では子供を乗せるにも、金具や漆には直接手がふれないように手袋をはめさせ、目を光らせています。県や市の観光の役人たちも谷鉄の言い分には一言もなく{まあまあ}とみんなでなだめるより仕方がない。その人たちに谷鉄はさらにこう付け加えた。{だいたいな、祭でもないのに屋台を引き出させて、いったいワレたちはこの神様の屋台を、何だと心得ているのか?この際はっきり言っておくが、この屋台ってものはナ、国のものでも天皇陛下のものでもない、ましてやワレたちものもでもない。麒麟台はオリたちのものだ!!}東京から来た調査団の人々は、ただただあきれ果て、恐縮して逃げるようにその場を立ち去り、宿へ帰って{これは屋台より人間の方が先に文化財だ!!}と言ったとか・・・」
と本の冒頭に乗っています。
谷鉄が一番かわいがっていた孫の悦朗の嫁なのでしょうか?私にはそんな素振りもなく、365日朝は餅と決まっていたので鰹節に醤油のシンプルな汁の雑煮を出すと両手を合わせ「ありがとう、ありがとう」と美味しそうに食べてくれるおじいちゃんでした。
4月の高山祭の時、観光客と悦朗旦那とチョットもめごとがあったようです。麒麟台の彫刻に一人の観光客が必要以上に近づいたようでそれを注意すると「高山祭りに来てやっとるのに」と言われたそうです。それを言われて「祭は俺たちのものなんや!!」と言い争いになったそうです。私はその場にいなかったのですが、市役所の人からその話を聞いて悦朗旦那に聞くと「そうなんやさな。俺、じいちゃんと同じこと言っとった」と笑いながら言いました。
さすが谷鉄の孫。しっかり受け継いで麒麟台を守っています。
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2014/05/12
昨日は三代目谷松之助、通称おじい、お義父さんの三回忌の法要でした。
私が谷家に嫁に来てから十数年経ちますがその間、4人のお葬式をしました。嫁に来て間もない三年目位から
二代目谷松之助、祖父(図書館の本にも載るほどの超有名人、後日詳しく報告)、二代目松之助妻、美知様
谷松四代目谷太朗(大輝、颯太、元揮の父)と、それぞれに大切な人を見送ってきました。
その度、死に直面してきて、残された生きていく私たちが亡くなった人にどう係わっていくか。
毎日仏壇に仏様に手を合わせる。法要をして亡くなった人の思い出話をする。その人を思い出す。
亡くなった時はとても悲しいけど谷家はその後、昨日の法要もとても楽しくなるんです。
それは、じいちゃんも、ばあちゃんも、太朗さんも、おじいも、
生前はみんな共通して楽しく、騒がしい事が大好きで
いつも話題を笑いを提供してくれていました。
穏やかに、朗らかに、明るく、昨日の青空のようなそんな人生を私も子供達も歩んで行ってほしいです。
連休中におじいのお友達の息子さん?ですか?「いつもブログ見てますよ」と言って頂いてありがとうございました。
あまり文章とか苦手で少しさぼっていました。申し訳ございません。
褒めるとノビル!!今後はもう少しブログアップしていきます。お約束は出来ませんが・・・
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2014/05/05
ただ今GW真っ只中!谷松の場所は高山市内でも、古い町並みの近く、いわゆる街(まち)と呼ばれる、場所にある。
ありがたい事に観光客の方、ほとんどの方が古い町並みを散策するので、のもすごい混みようです。
当然のごとく休みもなく(ありがたい事です)毎日働き詰です。そんな中、我が家の谷松長男大輝が初任給で(4月から谷松で一緒に仕事をしています)、
ばあちゃんと悦朗と悦朗嫁(私)にステーキをご馳走してくれるというではありませんか。
太朗さんが生きているころに家族で行ったワンポンド。高山でも美味しいと評判のステーキハウスです。
そこに次男颯太、三男元揮、悦朗長男謙伸、長女そら。総勢8人で夕食に出かけました。
飛騨牛A5級と表記してあるページはとばしてお値打ちメニューのぺージから全員同じのもを注文しました。
お肉のグラム数だけは違ったものの子供達の分は会計が私たちなので、なるべくお値打ちのを選んでもらおうとがんばりましたが、よく分からないので
結局全員同じものでした。でもすごく美味しかった。ご馳走してくれた嬉しさも重なり美味さ倍増、さらに倍!食べた後も亡くなった大輝、颯太、元揮のお父さん
太朗さんの話で盛り上がり、子供達のおじいちゃん、私のお義父さん、通称オジイの話でさらに大盛り上がりで店を出たのが9時近くでした。
それでもお店の方は優しく、めったに行かないのに子供達に大きくなったね、と声を掛けて下さいました。本当に素敵な楽しいひと時でした。
次の日、次男颯太も初任給で(4月から高山市内の大きな会社、社会人一年生)恵比寿ビールの詰め合わせをプレゼントしてくれました。
さすが、何がほしいかよく分かっとるな。
お礼を言うと「おう」と照れ臭そうに笑っていた。ちょっと大人になったな。うれし涙がこみ上げて鼻かツンとした。
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2014/04/17
今年もやって参りました。春の高山祭。大人もワクワクしてしまいます。
我が組、麒麟台はお囃子を生演奏しております。3月から練習を始め、お囃子の笛に参加して3年、我が子達も上手く吹けるようになりました。
今年3月、東京から谷松の跡取りとして戻ってきた大輝、4月から社会人になった颯太、高校生になった元揮、中学3年生謙伸、小学6年生そら、
そして谷松5代目悦朗と谷松からは6人参加しています。かるさんという各組のハッピのような衣装に着替え屋台を誇らしげに引いて行きます。
その日ばかりは子供達もたくましく見えます。
谷松に嫁に来てからはゆっくり祭を見物することが出来ませんが、亡き義父が「宵祭りのこの安川通りの屋台が並んで行く姿が一番きれいなんやぞ」
と手を引っ張ってここ、ここ、と教えてくれたのを思い出します。屋台は後ろから見るのがいいと言うことを教えてもらいました。
来月で三回忌、「お父さんは、お元気ですか?」と尋ねて見えるお客様もいまだにいらしゃいます。さすが松之助!
お義父さんの話はおいおいするとして、4月15日の中日新聞に颯太チャカリ載りました。身内で褒めるのもどうかと思いますが、笑顔が男前だね!
谷松 悦朗嫁でした。
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2014/03/21
「湘南の海」の両親が谷松にこくせんを買いに来てくださいました。
お話しててとても楽しかったです。
なぜ谷松に来てくれたかって言うと……。(笑)
。
タグ: 谷松、湘南の海
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2014/02/21
谷家の子供達はマージャンが大好きです。 正月、盆、はもちもんの事、4人メンツが揃うとマージャン大会になります。 その夜も義兄が埼玉から仕事でやって来たのでマージャン大会となりました。 私が初めてマージャンを知ったのは小学校6年生の時、当時、仲の良かった友達の離れにマージャンセットと当時は珍しいTVゲームの マージャンがありました。 友達はTVゲームのマージャンはやっていたようで役は解らないけど揃え方は知っていました。 遊びで並べたりジャラジャラとした感触を楽しんだり今思えば遊び道具として触れたのが最初の私とのマージャンの出会いでした。 その後、社会人になり、揃え方位しか解らなかった私でしたが女性でマージャンを知っていると言うだけでメンツに呼ばれ、ついには 雀荘デビューできるほど鍛えて頂きました(笑) そんな我が家の息子達にマージャンを教えるのに時間は掛かりませんでした。
その夜のマージャンを大会でやりましたー!!初、祝、大三元!!
トイトイ狙いがロン!したら、「お母さん、それ大三元やに」と!! 言われるまで気が付かず、おまけに発は喰わんでもいいんやよ。と駄目だしされて・・・
でもその夜のマージャン大会はお母さんの圧勝でした。
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2013/10/09
今年の秋祭りは昼も夜も雨で中止。
残念。
雨が少し上がった時に屋台がチョロッと出て来たので急いでパチリ!
天気ばかりはどうにもならないので仕方ないですね。
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2013/09/26
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2013/09/26
少し遅れましたが9月7日、8日にLIVEをやりました。
とても素敵な場所でまたここでLIVEやりたいなー。
タグ: 飛騨高山、ベース
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