谷鉄と呼ばれた二代目 谷 松之助
三代目松之助の三回忌法要の時にチョコットふれた二代目松之助の事を紹介致します。
私が嫁に来た時はもう90歳を超えていたので、店の前の大きな椅子に座って時折、お客様にこくせんを勧める穏やかなおじいちゃん、という感じでした。
ところが、おじいちゃんが亡くなって数年経っても「谷松さんはすごかったんやよ~」と言っておじいちゃんの話をしたい、私に「そこのじいちゃんは、な。」と教えたい人が谷松を訪れて来ます。
おじいちゃん、二代目松之助の話は今後チョイチョイ小出しにするとして今日は本の中におじいちゃんが出てきたのでその本を紹介します。
高山祭りの事を書かれているその本の中に谷鉄のおっさまと紹介されているのが二代目 松之助です。
「飛騨には余所者(よそもの)には理解しにくいことが、幾つかあります。その中でも{屋台}と称する祭車のことになると妻子も仕事も放っぽり出してしまう一群の人々がそれです。火事で自分の家は焼けそうなのに、屋台の事が心配で屋台蔵に先にかけつける人種です。上一之町麒麟台の屋台キチ(狂)と言われる谷鉄のおっさまがとんでもない事件を起こしてしまいました。戦後、高山の屋台を国の文化財に指定するかどうかということになり文部省の調査団が高山に来ました。岐阜県や高山市の役人たちが必要以上に気づかいしていた時、突然調査団の一人を{な、なにするじゃ!!}と突き飛ばしたのです。屋台の金具にさわったからです。そのときの谷鉄が言ったセリフがふるっています。{金具というものが、手でさわっていいか悪いかもわからぬような者が、文化財の調査団とはしゃらくさい、ワレたちの出る幕じゃない、帰れ、帰れ!!}これはまさに道理で、麒麟台では子供を乗せるにも、金具や漆には直接手がふれないように手袋をはめさせ、目を光らせています。県や市の観光の役人たちも谷鉄の言い分には一言もなく{まあまあ}とみんなでなだめるより仕方がない。その人たちに谷鉄はさらにこう付け加えた。{だいたいな、祭でもないのに屋台を引き出させて、いったいワレたちはこの神様の屋台を、何だと心得ているのか?この際はっきり言っておくが、この屋台ってものはナ、国のものでも天皇陛下のものでもない、ましてやワレたちものもでもない。麒麟台はオリたちのものだ!!}東京から来た調査団の人々は、ただただあきれ果て、恐縮して逃げるようにその場を立ち去り、宿へ帰って{これは屋台より人間の方が先に文化財だ!!}と言ったとか・・・」
と本の冒頭に乗っています。
谷鉄が一番かわいがっていた孫の悦朗の嫁なのでしょうか?私にはそんな素振りもなく、365日朝は餅と決まっていたので鰹節に醤油のシンプルな汁の雑煮を出すと両手を合わせ「ありがとう、ありがとう」と美味しそうに食べてくれるおじいちゃんでした。
4月の高山祭の時、観光客と悦朗旦那とチョットもめごとがあったようです。麒麟台の彫刻に一人の観光客が必要以上に近づいたようでそれを注意すると「高山祭りに来てやっとるのに」と言われたそうです。それを言われて「祭は俺たちのものなんや!!」と言い争いになったそうです。私はその場にいなかったのですが、市役所の人からその話を聞いて悦朗旦那に聞くと「そうなんやさな。俺、じいちゃんと同じこと言っとった」と笑いながら言いました。